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東京-北京友好都市提携25周年祝賀団―市民との友情を深め交流を広げて 東京―北京友好都市提携25周年を記念する祝賀行事が、11月7日、北京で行われた。この祝賀行事には、貫洞哲夫・都協会会長を総団長に、都協会市民交流訪中団(A・B・Cコース)と北京市との友好に携わった東京都のOB・現職(北京コース)ら67名に、中国抜河協会との交流事業で訪中した日本綱引連盟訪中団の35名も参加した。 7日午後の市民交流の集いは、5区に分かれ、グループごとに区民の人たちと楽しい時間を過ごした。 豊台区での綱引き交流で、日本代表の佐川急便東京(男子)と長岡レディース(女子)に挑戦したのは地元農民チーム。仕事で鍛えた筋肉隆々の小山のような面々に、日本側は体重で圧倒されて力が出ず、「国際ルールは体重測定します」とのコメントに爆笑が起こった。日中合同チームでの綱引きや太極拳、駒回しなどでにぎやかに交流した。 中国茶は西城区。民族職業高校学生による民族楽器演奏の流れる中、この日のために練習を重ねてきた第35中学代表が中国茶道を披露した。続いて団員の橋本鐡司さんが武者小路千家のお手前を披露、学生が橋本さんから茶道を習うひとコマもあり、お茶の奥深さに触れた交流となった。 崇文区百工坊では、「北京民間工芸大師」の称号をもつ徐陽氏から剪紙の直接指導を受けた。歌や踊り、筝演奏で歓迎をしてくれた子供たちも一緒に教わりながら鋏を使う表情は真剣そのもの。出来上がった個性あふれる「蝶」を記念写真に収めた。中国剪紙の芸術性学んで貴重な体験となった。 「生け花」は、宣武区の椿樹園団地を訪ねた。はじめに草月流師範の木村とし子さんと宣武区代表が大きな作品を仕上げた後、色とりどりの花材で自由な生け花を楽しんだ。団地の若い女性たちも積極的に話しかけたり、手伝ったりして交流を深め、出来上がった作品を外に並べて写真撮影。終了後に、団地の中を案内されたのも楽しかった。 東城区での歌の交流には地元の合唱団が参加、中国の歌の数々を披露した。朗々たる歌声に日本側「愛好者グループ」は圧倒されつつも「北国の春」を一緒に歌って交流した。この日は中国語で「海はふるさと」と「茉莉花」の2曲を特訓、人民大会堂で、中国音楽学院付属学校の合唱に加わってその成果を披露した。 「写真班」は各グループの交流の様子を撮影した。 「友情を継続させ、交流事業を市民に広げる」という目的で行われた今年の交流の集いは、北京市の5区の協力で実現した。各グループに北京市対友協の副会長や幹部が同行し、交流区でも副区長や外弁幹部が一行を熱烈歓迎した。それぞれの特色を生かした交流ができて参加者は大満足。「来年も是非続けたい」との声が多く聞かれた。 その日の夜は人民大会堂で盛大に祝賀レセプションを開催。張茅・北京市人民対外友好協会会長、貫洞哲夫・都協会会長の挨拶があり、両国・両都市の民間交流の重要さを確認。祝賀宴には北京市対友協、市外事弁公室はじめ関係機関などの幹部が出席した。会場には市民交流での生け花や剪紙の作品も飾られ、中国音楽学院付属校の学生による民族楽器の演奏と歌声に「歌」のグループも加わって、楽しいひとときを過ごした。 |
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![]() 日本の茶道も体験(西城区) |
![]() 華やかな生け花を前に記念撮影 |
![]() 人民大会堂で歌を披露 |
![]() 北京市人民対外友好協会から贈られた「友誼傳承」の書 |
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東京=北京友好都市25年〔その5〕―25年を振り返る〜貫洞哲夫・都協会会長に聞く 「25年を振り返ると、あっという間に過ぎたなぁというのが率直な感想ですね」と貫洞哲夫・都協会会長。 1979年3月、東京―北京友好都市提携の調印後、すぐの選挙で美濃部亮吉氏から鈴木俊一氏に知事が交代して、北京との友好を「鈴木さんが非常に前向きに取り組む努力をした」過程を内側からつぶさに体験された。 当時、参考になることは伝えようと、都の幹部職員をつぎつぎ北京に派遣して、行政の交流がかなり幅広く行われた。貫洞会長の初訪中は衛生局長のときの1981年。衛生医療の視察で北京市の病院をまわり、医療水準の違いを目の当たりにしたという。1983年からは労働経済局担当副知事として、4年続けて勤労青年洋上セミナーで訪中した。鈴木氏は中国だけではなく、国際交流に関して、都市外交を政策として確立した第一人者であり「国の専権事項だった国際交流を、自治体が取り組むことによって国民自身が確かめる機会をたくさん作った」と鈴木知事の業績を評価する。 1995年に東京都日中友好協会の会長となり、「都庁で携わった経験で北京との交流はある程度できるが、行政と民間は自ずと異なる。民間交流はどうあるべきかを考える機会を与えられました」という。会長が考える民間とは、まさに「草の根の交流」。細かいことを非常に大事にして、営々と長続きさせることが大切で、「あきらめてもいけない。放りなげてもいけない。大きな効果だけを考えてもいけない…というつもりでやっています」「思うようにいかないこともありますよ」と。都日中の人たちの日頃の努力に対して「我々には公の権威は何一つ無く、まったく素手でやっていく団体ですから、それを考えると皆さん本当によくやっています」と関心された。 最近の世間の厭中国的な空気については、「マスコミで云々されるほどとは思えませんが、自分の耳に入ってこないからという問題ではなく、細心の注意が必要」で、両方の国民にとって、本当に理解をすることはなかなか難しい。 今後の日中友好のあり方については、「お互いがまだ相手をよく理解していないと思います。やはり基本的な違いをよく知った上で、地道な努力を重ねて、少しずつ判っていくほかない。それが我々の仕事かなぁと思います」と言葉を結んだ。 |
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| 地区協会だより | |
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●西東京市日中友好協会―盛大に設立総会を開く 10月2日午後、西東京市日中友好協会の設立総会と記念講演が、西東京市田無庁舎会議室で、60名が出席して盛大に開催された。 総会の冒頭、高梨勇一会長は「21世紀の日本が明るい将来展望を迎えるためには、日中友好を深めることが必要不可欠。全会員一丸となり日中友好のために努力する」と開会のことばを述べた。来賓の保谷高範・西東京市市長は「中国との経済交流が盛んになっている今日、西東京市に中国との友好の会ができたことは、誠に喜ばしい」と祝辞を述べた。さらに山田忠昭・都議会議員の激励の祝辞、中国大使館友好交流部祝賀メッセージが紹介され議事に入った。都築金次郎事務局長が議長となり、規約、役員選任、平成16年度事業計画、予算案が全会一致で可決承認された。顧問に東京大学名誉教授(中国近代史専攻)小島晋治氏と都議会議員であり都協会顧問の坂口光治氏が就任した。 総会終了後、休憩をはさんで小島晋治氏による「日中関係の歴史と今」をテーマとした記念講演を開催、約80名が集まった。講演終了後には祝賀懇親会もにぎやかに開催された。 |
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●北区日中友好協会―講演会〜当時の発音で李白の詩を朗読 北区日中友好協会では9月29日、「漢詩を楽しむ」と題して、シンガーソングライターとしても活躍されている荘魯迅氏を講師に迎え、北とぴあ研修室で講演会を開催した。李白の3編の詩を題材に、当時の世相と李白の置かれていた困難な状況を踏まえながら、それぞれの漢詩の真意を解説。作詩上のルール等から当時の中国語の発音を推測し、当時詠まれていたであろうと考えられる当時の発音でこの3編の詩を朗読すると、参加者からは感動の拍手が送られた。講演終了後も熱心な参加者が講師を囲み、質疑応答、講師の著書を求める姿が見られた。 ●北区日中友好協会―中国語教室―初めての教室に定員の倍の応募 北区日中友好協会主催による初めての中国語教室(入門と中級)が9月上旬に開講した。この教室は北区役所の協力のもと北区在住在勤者を対象に先着順で一般公募を行った。当初どの程度申し込みがあるかと不安もあったが、結果は入門が定員の倍を上回る応募があり、中級も定員を超えて嬉しい誤算となった。講師は孫蘇さん(短大講師)。入門コースには中国語は初めてという受講者が多く、発音、声調、基本的な会話を中心に、中国に関わるエピソードを加えた講義で、受講者たちは熱心に取り組んでいた。中級コースは実践的な中国語、即ち難しい文法を意識せずフレーズ豊かな中国語の習得に重点を置いて進められた。11月にはひとまず終了するが、受講者から継続要望が相次ぎ、今回の経験を生かした教室を来年以降も検討している。 |
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![]() 北区日中友好協会の講演会 |
![]() 北区日中中国語教室の様子 |
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●豊島区日中友好協会―ぶどう狩りや訪中旅行を実施 豊島区日中友好協会は9月12日に「日帰りぶどう狩りと山梨温泉の旅」を行った。天候に恵まれ、日本人20人、中国人30人を乗せたバスは一路山梨へ。10時、ぶどう園到着。秋の日差しを浴び、たわわに実ったぶどうの房を手に取り、心ゆくまで味わった。12時石和温泉着。バイキングの昼食の後、温泉につかり疲れを癒した。 9月26日には、豊島区主催「ふくろ祭り」の「国際交流おみこしを担ぐ会」に参加。豊島区日中が提案し今年で11回目を迎えたこの会は、ふくろ祭り協議会の共催、西池袋1丁目町会の協力で行なわれ、豊島区日中も協力事業として毎年参加している。 10月7日から11日まで「豊島区日中訪中旅行」(北京、唐山、秦皇島)を16名の参加で実施した。唐山は25年前の地震で生まれ変わった近代都市で陶磁器の産地として知られる。清の東陵は当時の皇帝の権力を表すかのような広大な敷地に石像や楼閣、墳墓が並んで壮大。「山海関」「老龍頭」という万里の長城の東端―長城の起点にあたる場所も見学した。 |
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●中野区日中友好協会―中野まつりで人気の水餃子 今年で29回目を数える中野まつり。10月2日と3日、中野区日中友好協会は恒例となっている水餃子と生ビールの店を出店した。水餃子は当日、皮作り・具を包む・ゆでる、とすべてをお客の前で実演するのでとてもおいしいと評判だが、人手がないとなかなか進まない。毎年、会員以外にも他の模擬店の女性や、区内在住の中国人が一緒に賑やかに餃子を包んでくれ、思わぬ交流と共にとても助かっている。男性の会員も、エプロンをかけ、頭にはバンダナ、大きな掛け声での呼び込みと、すっかり餃子販売バージョン。用意した餃子は2日間で完売した。水餃子は固定ファンも多く、「また今年も食べに来た」と必ず声を掛けてくれる方もいる。「おいしいから来年もまた出してね」と言われ、つい顔がほころんでしまいました。謝謝! |
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第20回「日本と中国・音楽の夕べ」―12月10日(金)19:00開演、なかのZERO大ホール 都協会秋恒例の「日本と中国・音楽の夕べ」を12月10日、中野区のなかのZERO大ホールで開催、20回目を迎えた今年は、―二人の歌姫と中国伝統楽器の名手を迎えて―と題して行われる。 幕開けは、特別出演の神田将さんのエレクトーンと東京中国歌舞団の合奏による「世界に一つだけの花」。第1部は東京中国歌舞団の陽二蓮さんの歌で中国の名曲「草原情歌」「茉莉花」や「涙そうそう」「冬のソナタ」など話題の曲の数々を楽しむ。第2部はなかのマックスと区民合唱団有志によるクリスマスソングで始まり、合唱団との共演のあと芹洋子さんの舞台にうつる。芹さんは人々に愛され続けてきた「花ぐるま」「坊がつる讃歌」や四季の叙情を歌に寄せて、メドレーでたっぷりと聴かせる。 東京中国歌舞団は、音楽を通して中国の養父母たちへの慰問活動を続けているが、帰国者支援のための「日本と中国・音楽の夕べ」について、「念願の出演が叶いとても嬉しい」と陽二蓮さん。来日前から「四季の歌」で知っていた芹洋子さんと一緒の舞台もとても楽しみという。「第1部は私の歌を中心にお届けしますが、バックの素晴らしい中国民族楽器の演奏も是非お楽しみ下さい」「コンサートを通じて皆さんとの交流、さらに日本と中国の友好を深めたいという願いを込めて歌います」と意気込みを語った。 |
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第7回日中友好囲碁大会―小学生3チーム大活躍 10月31日(日)、第7回東京都日中友好囲碁大会が、東京市ヶ谷の日本棋院で中国大使館チームを迎え、49チーム147名の団体戦により盛大に開催された。 今回は、小学生が3チーム参加し、それぞれに活躍して大会を盛り上げた。特に、Bクラスの囲碁サロン石庭チームは、準優勝と大活躍、来年以降の活躍が楽しみとなった。またAクラスでも女子ばかりのミッフィーチームの宮本さんは、予選三連勝。惜しくもチームは決勝トーナメントに進めなかったが、その活躍はすばらしいものがあった。男子では、Gエクスプレスの日野君が予選三連勝を達成、その中には前年Sクラスのチームも含まれていて、内容についても感嘆させられるものだった。その他、今回は中国大使館チームの活躍が話題を呼んだ。特に馬駿・一等書記官は注目を集め、その中国流の石さばきに多くの人が感動をしていた。さらに、下馬評の高いSクラスの中国チーム華瀛棋楽会は、すべての対戦で貫禄の勝利を上げ三連覇を達成した。審判長を勤める白江治彦八段も講評の中でその実力について高く評価された。 成績は次の通り。◆Sクラス:優勝・華瀛棋楽会T、準優勝・都庁囲碁部、三位・サン・ジャパン◆Aクラス:優勝・新宿T、準優勝・棋誠会、三位・東京地下鉄T◆Bクラス 優勝・渋谷区役所T、準優勝・囲碁サロン石庭、三位・武蔵村山市役所悠和会囲碁部◆Cクラス:優勝・渋谷区役所U、準優勝・立川市、三位・中国大使館 |
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![]() 囲碁大会開会式の様子 |
![]() 小学生チーム大健闘 |
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第9次渋谷区民代表訪中団―古都・西安から敦煌へ 第9次渋谷区民代表訪中団は募集を大きく上回る44人の参加で、9月20日〜26日、古都長安(西安)からシルクロードの要衝・敦煌を訪問した。 初日の夜、陝西省人民対外友好協会の歓迎を受け、気持ちのよい旅立ちとなった。西安では兵馬俑や大雁塔、碑林など史跡の数々を見学、唐朝第3代皇帝と女帝・則天武后の陵墓である乾陵まで足を伸ばした。 23日早朝、西安発。限りなく続く山脈、そしてゴビ砂漠。左手遥か彼方に雪を頂く山並みを見ながらの空の旅。日本では見ることのできない景色に一同感激した。昼食後、莫高窟へ。雨が降らず水がないので「さんずい」を取って「莫」とか。世界で最も規模が大きく、最も完全な形で保存されている仏教芸術の宝庫に唯々驚いた。 24日、砂漠の中に際立つ玉門関に立ち、塩湖を眼下に見る。帰路、彼方に海かと思う蜃気楼を見る。バスの中は大騒ぎ。遠くに見えたポプラの緑が次第に近づきオアシスなりと聞く。陽関では、遥か彼方に見える連山まで700km、山のむこう1200kmの地点はチベット、右手はタクラマカン砂漠とか。気の遠くなるような広大さだ。そして、いよいよ鳴沙山へ。金色に輝くその美しさは、三日月形の月牙泉の不思議さとともに終生忘れられない風景として残るであろう。 25日北京に戻り、北京市人民対外友好協会の歓迎・送別宴。和平門北京ダックで劉樹声・副会長らの温かいもてなしを受けた。翌日、団長はじめ役員は西城区を訪問、日曜日にも関わらず林鐸区長らと懇談、渋谷区長の親書を渡して、明後年の両区青少年の絵画展実施などを確認することができた。 この旅で中国の方々の深く温かい心に接し、更に良き友好を結んでいきたいと願っている。 |
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見に行く会いに行く・北京西安5日の旅―北京で「家計」の懇話会 婦人之友社の「明日の友」読者を中心に一行18名は、10月11日〜15日、北京・西安へ楽しく意義ある旅を体験した。 日中両国の友好交流はアジアと世界の平和への道―その思いは、日中両国友好協会と婦人之友社の創設者である羽仁吉一・もと子の唱えた「太陽は一つ…私たちはみな兄弟姉妹です」の精神に相通じる。1938年春、羽仁夫妻が中国の少女たちのために「自由学園北京生活学校」を開学(1945年閉校)。その卒業生(校慶会)たちとの再会も兼ねて、一昨年に続いての「看一看見一見〜北京・西安の旅」となった。 2日目の午後、北京市人民対外友好協会ホールで、家庭生活のかなめである家計についての懇話会が行われた。この会には、団員18名に加え、校慶会6名、北京市対友協の徐強・日本部長はじめ西城区婦女連、東城区社区代表らが出席。日本側の資料「1人暮らしの年金生活」「夫婦2人の年金生活」の実例に対応する形で、校慶会の会員は詳細な家計資料をもとに、年金水準や住宅分配制度の変化、趣味を生かした現在の暮らしぶりなどを紹介した。また、西城区婦女連の劉金耀主席と東城区北新橋九道湾社区の曹建軍主任が、それぞれ日中の相違点、共通点など質問と感想を述べた。婦女連で推奨している「緑色生活パターン」(光熱費の節約は国や地球を守る視点に繋がるなど)やボランティア活動についても密度の濃い話し合いが持たれた。 最後に徐強・北京市人民対外友好協会日本部長が、「どのように立派に生活をしていくか有意義な話し合いができた。次回はもう少し時間をとって話し合いたい」と会を締めくくった。 |
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全日本中国語スピーチコンテスト東京大会開く 第22回全日本中国語スピーチコンテスト東京大会が10月3日、千代田区の万世橋区民会館で行なわれた。審査員は、審査員長の山下輝彦・都協会中国語普及委員会顧問(慶應義塾大学教授)、徐揚・日中学院専任講師、孫建和・中国国際放送局東京支局長の3氏。 朗読の部は課題文制で行なわれ、基礎部門11名、一般部門6名による争いとなった。審査結果発表後、孫審査員から「朗読は中国人にとっても難しい。多くの中国人には地方の訛りがあるが、皆さんにはきれいな標準語を身に付けてほしい」と感想を述べた。各賞は以下の通り。金賞:尾渡智佳(成城大学)、磧本潔子(神田外語学院)、銀賞:岡村亜佐美(神田外語学院)、池内由宇(東京外国語大学)、努力賞:阿部光華(関東国際高等学校)、福島誠一(公務員)、谷口侑紀(中央大学)、渡邉千代(日中学院)。 午後の弁論の部には7名が出場。自らの体験に基づく様々な内容で、レベルの高い熱戦となった。徐審査員は「発音のよい人、表現力豊かな人など、各人各様に素晴らしく、審査に悩んだ」と講評した。都協会会長賞は中川知美さんが受賞。「HSK証書を手にして思う事」と題して、中国語を一言も話せなかった10年ほど前、旅行先の北京での親切な中国人運転手との出会いをきっかけに中国語を学び始め、後に再会した時に彼から貰った一冊の辞書を励みとして、HSK8級の難関を突破した体験を語った。中川さんは11月28日の全国大会に東京代表として出場する。各賞は以下の通り。都協会会長賞:中川知美(会社員)、北京市対友協会長賞:石黒真理奈(桜美林大学)、優秀賞:岡本麻里(国際ランゲージスクール)、柏崎祥大(電気通信大学) |
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![]() 朗読の部出場者と審査員の記念撮影 |
![]() 弁論の部出場者と審査員の記念撮影 |
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第12回中国事情懇話会開催―「改革・開放と中国社会の変化」 都協会は第12回中国事情懇話会を10月25日、西園寺一晃・椙山女学園大学客員教授(都協会副会長)を講師に招き、上野の東京文化会館で開催した。 今回のテーマは「改革・開放と中国社会の変化」。西園寺氏は、中国は社会主義の看板を掲げているが、経済は資本主義という大きな矛盾を抱えていると前置きした上で、中華人民共和国成立から今日に至るまでの社会の変化とそれに伴う経済発展、階層分化について語った。1949年の新中国成立は、民衆による封建制打破ではなく、共産党主導による社会主義革命という特色を持っていたため、毛沢東は引き続き共産党主導により一刻も早く社会主義体制を堅固なものとし、ブルジョアの台頭を未然に防ぐ路線を選んだ。また、ソ連社会主義がブルジョア台頭により変質していったことを目の当たりにしたことなどから、文化大革命により階級闘争を徹底した経緯を述べた。毛沢東没後、文革は収束しケ小平路線へ移行。改革・開放政策により中国経済は大きく変化した。計画経済から市場経済への移行によって、外資系、合弁企業や私営企業が誕生。競争社会となった中国の経済は急速な発展を遂げた。しかし、改革・開放政策下では、経済発展は平均主義によらず、「豊かになるところから豊かになる」という方針を採ったため、貧富格差、階層分化という大きな問題が生じた。この方針は、かつては誰にでも豊かになる機会があるとして肯定的に受け入れられたが、現在は格差があまりに拡がり、とりわけ都市部と農村部の格差は深刻なものとなっている。今後の中国経済発展には、経済成長率を一定に抑え、農村にてこ入れをすることで、成長第一主義から格差是正への方向転換を図ることが鍵となる、と述べた。 |
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2004年北京市青少年友好訪日団-北京から青少年キャラバンで120人 2004年北京市青少年友好訪日団(キャラバン)が、7月17日から23日まで北京市人民対外友好協会の劉樹声副会長を団長に団員94名、引率26名で来日した。昨年はSARSで中止となったが、1999年から北京の学生を迎えて今年で5回目となった。 都協会では7月19日夜、渋谷区の協力で渋谷区リフレッシュ氷川を会場に歓迎会を開催、中国大使館の毛・参事官、都内各区区の代表ら来賓、役員、会員、日本側キャラバンOBなど100人が参加した。 主催者を代表して貫洞哲夫会長が「1988年以来青少年キャラバンを推し進めてきた私どもは、このように会場を埋め尽くす若者たちの熱気をひしひしと感じて、この事業が大きな成果を生みつつあることを心から喜ぶものです」と歓迎の挨拶をした。 毛参事官は、「このように中国の青少年が外国へ出られるのは、改革開放の成果。短い滞在のなかで、日本の友人の好意を身をもって感じてほしい。できるだけ大勢の日本の青少年と付き合って、多くを学んで帰ってください」と激励した。 会食のあとは、キャラバンOBが準備した駄菓子や紙風船、折り紙などに交流の輪ができた。北京の団員からは、合唱や民族舞踊、楽器演奏、武術などが次々と披露され、「幸せなら手をたたこう」の曲が始まると会場いっぱいに拍手の音が響きわたった。 20日午後は、藤沢の湘南高校での交流会。劉樹声団長は、「この日のために『国際交流委員会』まで作って歓迎の準備をしてくれたことに感動しています」と感謝を込めて挨拶した。会は学生が英語と中国語で進行し、吹奏楽や応援団、合唱など部活の披露と、「日本の高校生の一日・学校行事」がパソコンを使って英語で紹介され、中国側からは踊りや楽器演奏が披露された。続いて剣道や茶道、学校案内など幾つかのグループに分かれて部活体験をした。この交流は、北京の団員に深い印象を与え、「日本の高校生は勉強以外にいろいろな活動に参加して、とてもうらやましい」「来る前は、日本人の学生は恥ずかしがりやであまりしゃべらないイメージがあったが、湘南高校を見学して、とても活発な印象が残った」「応援団のチーム精神が素敵です」と、様々な感想が寄せられた。 この日の夜は石和温泉。大広間に一堂に会しての夕食では全員浴衣姿でくつろいだ。21日はくっきりと姿を見せた富士山に歓声を上げ、三島から新幹線で京都へ。古都を参観した後、22日は松下電器技術館で暮らしに密着した最先端の技術を見学し、23日、関空から全員元気で帰国した。 |
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![]() 歓迎会で挨拶を述べる貫洞哲夫・都協会会長 |
![]() 湘南高校での交流では剣道にも挑戦 |
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東京=北京友好都市25年(その4) 1979年に東京都と北京市は、友好都市関係を結んだが、それに伴って、締結の記念事業として、両都市の市民生活と芸術文化を相互に紹介する展覧会を開催することになった。当時東京都の広報部長として両方の展覧会を担当した牧田・都協会副理事長に、画期的だった二つの展覧会の話を聞いた。 《北京市民与東京都民的友誼金橋》―調印の翌年である80年6月日本橋高島屋を会場に開催された「北京展」では、このことばが北京市民から東京都民に贈られた。 この「北京展」には呉作人や啓功ら現代中国を代表する作家の書画130点、呉昌碩や文徴明など明・清時代の書画25点のほか、「新しい北京」「昔の北京」と題して、北京市の新旧の姿を刻んだ象牙の彫刻2点、北海公園と頤和園を象った堆朱2点、それに北京に住むプロ・アマ写真家による市民の生活写真230点が出品展示された。会場には5万人に及ぶ都民が訪れて、久しく閉ざされていた中国の書画や北京市民の生活風景に触れて多大の反響を呼んだ。 その翌81年6月、こんどは東京都側が北京の中国美術館を会場として「東京展」を開催した。 絵画(日本画)は日展、院展、創画会から推薦された東山魁夷、奥村土牛、平山郁夫、吉岡堅二らの作品など75点、書は西川寧、金子鴎亭、手島右卿、柳田泰雲の作品など56点、それに東京を紹介した各種の写真270点、および「東京からこんにちは」と題した記録映画が出品された。10日間の期間中には、8万余の北京市民を初め遠く中国各地から多くの人々が来場し、盛況をきわめた。また記録映画はテレビ放映されたり、市内の映画館や学校などで巡回上映された。 なにごとにつけても、初体験のことばかりで、設営にあたっては大変な苦労をした催しであったが、両展とも今では考えられないほど多くの芸術大家の協力が得られたこと、とくに「東京展」では北京市当局や北京市民のあたたかい力添えがあったことなどが今更のように思い出され、東京・北京友好都市締結から25周年の今日、友好の大切さを改めて噛み締めているとのことだった。 |
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希望小学校卒業生に辞書贈呈-大田区日中友好中国語会話学習会代表が卒業式出席 大田区中国語会話学習会が建設に助力した河北省陽原県水峪口希望小学校の卒業式が7月26日に執り行われ、この式典に学習会代表団6名が出席した。また北京市人民対外友好協会から徐強日本部長ら参加された。卒業生への記念品には北京市対友協職員のアドバイスを受け成人後も使える「新華辞典」が一人ひとりに贈られた。前夜からの大雨に、来られないのではないかと心配した村民多数も学校に駆けつけて、2年ぶりの訪問を歓迎した。 これより1日前には、都協会理事のの北島一巳氏が建設資金を拠出した「揀花堡希望小学校」卒業式も盛大に行われ、病気のために来られなくなった北島氏の代理で松井幸雄都協会・副理事長が託されたメッセージと記念の絵を学校に贈呈した。陽原県には「青葉綾子記念図書館」もあり交流センターの役割も果たしていて幅広く利用されている。この度の訪問時にも記念の辞書が贈られた。 大田区日中友好中国語会話学習会は来年以降も卒業式への代表団派遣を継続する意向である。 |
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栄華を極めた古都「王朝街道の旅」訪中団報告 8月8日〜15日の日程で、NPO法人東京都日中友好協会主催「王朝街道の旅」に参加した。水島豊・都協会常務理事を団長とした33名は、8日成田を出発。北京到着後、天壇公園を見学、夜は歓迎夕食会に臨んだ。劉樹声・北京市人民対外友好協会副会長の歓迎の辞に続く乾杯、水島団長の挨拶と乾杯、続く懇談でお互いの日中友好を深めることができた。9日には、故宮・万里の長城組と周口店・雲居寺・盧溝橋組に分かれて、明・清王朝時代を中心とした歴史やその遺跡・遺物をつぶさに見学した。 10日は北京から南西1,200qの西安(かつての長安)に向かった。この日は漢陽陵と大雁塔を見学。翌日は待望の、秦始皇帝のためにつくられ2,000年にわたって地中に眠っていた兵馬俑と、唐の中期に玄宗皇帝が楊貴妃と日々を送ったという華清池を見学した。碑林の林立する石碑の中には「有朋自遠方来不亦楽乎…」「少年易老学難成…」等の刻字も見られた。シルクロードの出発点として紀元前から秦・漢・隋・唐など3,000年にわたって栄華を誇った都「西安」に感慨を深くした。 12日はバスで西安から西480qの洛陽を目指した。途中、日本でもなじみの深い函谷関に立ち寄った。 13日には龍門石窟を見学。巨大な岸壁に刻まれた約10万体の大小の仏像、多くは494年から400年にわたって掘られ続けたものである。午後は、バスで230q走り、北宋時代に栄えた開封に到着、相国寺を見学した。境内には92年、日中国交正常化20周年記念で弘法大師像を安置した太子堂が建立されており、我々の関心を集めた。 翌日は清明上河園で、宋代を思わせる野外劇を見学。午後、バスで鄭州空港へ。上海に向け出発。上海でも上海市人民対外友好協会の歓迎を受け、旅の最後の夢を結んだ。 今回、中国の長い歴史の一端に直に触れ、大変有意義な旅であった。8日間同行いただいた北京市対友協の方々と各地の皆さまに深甚なる感謝を申し上げたい。謝謝。 |
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第31回中国語夏期スクーリング-「発音」「会話」「朗読」クラスを開講 8月29日、第31回日中友好中国語夏期スクーリングが、大崎の南部労政会館で行なわれた。「発音クラス」は島村泰子・都協会中国語スクーリング講師と許堅・大田区中国語会話学習会主任講師。「中国語で日本の文化を紹介しよう(会話クラス)」は徐潔・大田区中国語会話学習会主任講師。「表現豊かな朗読講座(朗読クラス)」は盧思・NHKテレビ中国語会話アシスタント(京劇俳優)が担当。 22名が参加した発音クラスは、都協会中国語スクーリングでおなじみの二人の講師が、日本人には難しい発音を、一つ一つの音の組み合わせから詳しく説明。また誤りやすい音の聞き取り練習や漢詩の朗読などを行った。 会話クラスには14名が参加。今回は中国人との会話でしばしば聞かれる日本の文化や風習などについて、中国語でどのように説明するのかを学んだ。飯団(おにぎり)や梅干などの文例をあげ、中国でも最近コンビニで売られるようになったおにぎりに関する質問など、受講生からの多様な質問に徐潔先生は、丁寧に積極的に応じた。 「朗読クラス」には15名が参加した。昨今、様々な中国語スピーチコンテストが開催されているが、いざ出場してみると、発音が良いにもかかわらず、表現力不足などでなかなか入賞できない学習者が多い。そこでこのクラスでは、朗読する文章の作中人物や作者の心情を解説した上で、それを豊かに表現する朗読法を、盧思先生の模範朗読を聞いて、繰り返し練習した。授業開始当初はほぼ棒読みだった参加者も、終了する頃には心のこもった朗読を発表できるようになり、好評を博した。 |
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![]() 「発音クラス」の授業風景 |
![]() 「朗読クラス」の授業風景 |
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青山、池袋に中国語教室開校 NPO法人東京都日中友好協会・中国語普及委員会は渋谷区日中との共催で、9月1日に青山中国語教室・初級クラス(毎週水曜)を開校した。16名の受講生の多くは昨年から継続の学習者。開校式では石田詔夫校長(渋谷区日中副会長)が激励の祝辞を述べた。10月5日からは毎週火曜日に入門クラスを増設する。 また9月6日には都協会主催、アークアカデミー協力で、中級者対象の会話を中心とした池袋中国語教室(毎週月曜)を開校。松本正道・中国語普及委員と泉均・アークアカデミー池袋校校長が祝辞を述べ、受講生17名で順調にスタートした。 |
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![]() 青山中国語教室開校式で祝辞を述べる石田校長 |
![]() 池袋中国語教室の授業風景 |
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「東京−北京友好家庭」訪日団−北京から5家族迎えホームステイ 北京市対友協の提案を受けて実施した新しい形の市民交流「東京−北京友好家庭」5家族が6月11日から15日、東京を訪問、2日間のホームステイを通じて密度の濃い交流を行った。 1号家庭・麼さん一家3人は、渋谷区日中歓迎会で熱烈な歓迎を受けたあと藤本・渋谷区日中理事宅へ。できるだけ多く東京を見てもらいたいと、国会議事堂、代官山や、希望で靖国神社も案内、NHK放送センターではドラマ「新撰組」の衣装でカメラに収まった。娘の亜菲さんは旅游学院で日本語専攻、不安なく楽しい時間を過ごした。「日本の方の温かさを実感し、出発前と日本に対する考えが大きく変わりました」といわれたことが何よりうれしかったと藤本さん。 2号家庭は東京都レクリエーション協会職員の荒井さん。夫君と大学生息子さんが張さん母娘を迎えて、高尾山登頂、ショッピング、露天ガーデン、浅草などを案内した。「苦労したのは何といっても言葉。息子と娘は“英語の筆談”で結構交流していましたが、意思の疎通が難しかった」と荒井さん。お別れ会で、娘の珊珊さんが「荒井さん、お世話になりました」「ありがとう」とたどたどしい日本語で感謝を伝え、会場の大きな拍手を浴びた。 3号家庭の丸山・都協会副理事長宅には劉さん一家3人が訪問した。夫人の辛さんは丸山さんの母校・王子小学校の姉妹校である北京第一実験小学校教師。12日の授業参観日に王子小を訪問して資料室で実験小のパンフレットに若い自分の姿を見つける一幕もあった。丸山宅には中国語のできる松本都協会理事夫妻の応援があり丸山さんは「言葉の壁を感じずに親戚を迎えた気持ちで過ごすことができた」と語った。 前田・都協会常務理事の4号家庭はコンさんと8歳の娘さん。前田さんの11歳の娘さんと9歳の息子さんの3人は、箱根へのドライブや芦ノ湖遊覧、上野動物園などですっかり仲良しに。「子ども達は生涯この3日間を忘れることはないでしょう」と前田さん。コンさんは「はじめは心配でしたが、前田さんが中国語堪能で、楽しく交流できた」と述べた。 5号家庭は、松井・都協会副理事長宅。山梨県白州町での2泊で、県フラワーセンター、美術館、図書館などを回り塩沢温泉でくつろいだ。呉さんの娘夫妻は新婚旅行も兼ねての来日。「歩いた距離は一番多い」と笑わせながら、「日本人が進んだ文明と素朴な自然を愛する両面を持つことを感じた」と呉さん。「受入れは大変と思っていたが、ふだんの暮らしの中でふつうにできることなんだ、と感じた」と松井宅をサポートした大田区の須山さん。 「宣伝上の日本人でもなく、イメージの日本でもなく、私たちと同じような暮らしをしている日本人に接して、精神的にも豊かな感じを受けた」と呉さん。この交流の様子は北京放送で数回にわたって紹介され、中国でも高い評価を受けた。 |
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![]() 1号家庭を迎えて渋谷区日中の歓迎会 |
![]() 2号家庭と荒井さんご一家 |
![]() 3号家庭と丸山さん・松本さん(対面式にて) |
![]() 4号家庭と前田さん(対面式にて) |
![]() 5号家庭と松井さん |
![]() お別れ会での集合写真 |
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NPO法人東京都日中友好協会第4回通常総会・祝賀レセプションと北京市人民対外友好協会代表団歓迎宴開く 6月19日正午から日本青年館「亀の間」で、都協会第4回通常総会レセプションと北京市人民対外友好協会代表団歓迎宴が開かれた。 貫洞哲夫・都協会会長は総会が円満に終了したことを報告すると共に、北京市対友協代表団が総会に「錦上花を添えていただいた」と紹介した。これを受けて韓秀峰・北京市対友協常務副会長は、盛大な歓迎に感謝の意を表するとともに、対友協が昨年の理事会以降「友情、平和、発展」を掲げて一貫して市民間の友情を深める活動をしていることを強調、「都日中は私たちの一番のパートナー。心をひとつにこれからも協力して事業を進めていきたい」と挨拶した。 来賓を代表して中国大使館の毛・参事官が「東京都と北京市の交流で、東京のなかにおかれては難しいことは承知しているが、皆さんはカラフルでレベルの高い活動をされている。私たちは同じ目的をめざして力を出し合っていますが、これからも万難を排して闘いながら力を合わせてがんばって行きましょう」とエールを送った。 村山保太郎・渋谷区日中会長(都協会参与)が高らかに乾杯の音頭をとり、韓常務副会長や北京市対友協職員の馬恵麗さん、王景恵さんを囲んで歓談の輪が広がった。 |
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![]() NPO法人東京都日中友好協会第4回通常総会 |
![]() 総会レセプションで祝辞を述べる韓秀峰・北京市対友協常務副会長 |
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東京=北京友好都市25年〔その3〕−友情を積み重ねた歴史を大切に 二十五年の間に、東京と北京はどれだけの友情を積み重ねてきたのだろうか。もちろん都協会と北京市人民対外友好協会とは毎年会談要録をかわし、青少年や市民交流等々のイベントに精力的に取り組んできた。民間にあって、日中友好をいわば業とする組織だから、これは当然である。では振り返って東京都と北京市とはどのような事業に取り組んできたのだろうか。東京都総務課の文書広報係に照会した一部を拾ってみよう。 ・1979年3月「東京−北京友好都市」調印。 ・1984年5周年記念事業としてオオヤマザクラ苗木の贈呈。北京軟式少年野球チーム受入れ、東京・ニューヨーク三者交流親善試合。陳希同北京市長一行の接遇。勤労青年洋上セミナー派遣。 ・1989年10周年記念事業として東京都交響楽団の北京公演。専門職員の相互派遣。 ・1994年15周年記念事業として友好代表団の相互派遣。「都市経済・市場経済への対応」シンポジウムへの講師派遣。金帆芸術団(北京市児童の民族音楽)東京公演。 ・1999年20周年記念事業として豊台区世紀林で記念植樹。老舎記念館へ記念プレート贈呈。鈴木元知事を団長とする友好訪問。「次世代型市民交流を考える集い」 ・2004年25周年記念事業は実施せず。 このように見てくると、今年が25周年だというのに、記念事業を実施しないことは、きわめて異例だと言わざるをえない。いうまでもなく国際交流とは、お互いの経験交流の積重ねによって相互に文化と知識を学び合い、多様な国民生活の発展と平和に寄与するもの。これを怠ることは、東京都民にたいする自治体としての責任の放棄にならないだろうか。 |
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黄山市に「友好の櫻」記念碑−目黒区日中友好協会が千本の苗を贈呈 目黒区日中友好協会の中沢・副会長を団長とする一行20人が、北京市人民対外友好協会の受け入れで、5月12日から17日の日程で北京・黄山両市を訪問した。黄山市との関係は、当会会員が黄山市に居を構え、事業活動を行っていることがご縁で交流が始まり、1999年5月、椎橋前会長が黄山市対友協と「友好交流活動に関する協定書」に調印した。その証として21世紀を迎えるに当たって、当会の大事業といえる桜の苗木千本を目黒区造園業協会、目黒区国際交流協会の協力を得、黄山市緑化事業の一助にと年次計画に沿って贈呈することを決めた。このたび、贈呈目標の千本に達したことから黄山市のご好意で記念碑が立つことになり、今回の訪問となった。記念の石碑は市役所前公園に植樹された桜の木々の間にあり、碑文は、黄山市の著名な書法家が筆を奮った「友好之櫻」と書かれていた。 5月13日夜、歓迎宴とともに盛大な記念式典が開催され、黄山市の汪副市長から同市の緑化事業に尽力した功績により、当協会に対して「栄誉証書」が授与された。なお、訪中第1日目の12日には目黒区と友好交流区である北京市崇文区を訪問、また北京市対友協の韓常務副会長と会見し、友好を深めた。 |
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日本太極柔力球協会が発足−健康増進と友好促進に寄与 中国生まれのニュースポーツ「太極柔力球」の普及振興を目指して6月28日午前、社団法人東京都レクリエーション協会会議室で「日本太極柔力球協会」設立発起人会が開催され、規約、役員、今後の運営などを検討、正式に協会が発足した。 「太極柔力球の普及及び振興を通じて、日本国民の新しい生涯スポーツとして、健康の増進とスポーツ・レクリエーションの振興に資するとともに、日中友好交流活動に寄与すること」を目的に掲げている。 事務局は当面、都協会事務所内に置き、今後、会員募集とあわせ大規模な「普及講習会」や定期的な実技講習会の開催、指導者講習会などの準備を進めていく。 3月に北京から講師を招いて行った第1回普及講習会の受講者がそれぞれのグループで教えており中国から購入したラケットも既に1500本を越えた。 日本太極柔力球協会には、北京市人民対外友好協会と中国老年人体育協会全国太極柔力球推広工作組から連名で、「協会の設立は、日本国民の健康を増進し、中日両国の友好促進に貢献することを確信している」との祝電が届いた。 |
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地区協会だより ●葛飾区日中友好協会―東京中国歌舞団の揚琴と歌で懇親会〜葛飾区日中総会開く 5月16日夜、葛飾区日中友好協会の平成16年度通常総会が葛飾区金町の「二葉会館」に於いて、盛大に開催されました。当日は、阿部裕常務理事の司会により進められ、来賓として青木勇葛飾区長をはじめ、区議会議長、貫洞哲夫都日中会長等参加され、錦上花を添えて頂きました。 来賓の方々は、祝辞の中でこういった草の根的組織が活性化することにより両国の友好の絆がより深まっていくものと力説され、これからも我が国と中国は一衣帯水の隣国として、より以上の友好関係を構築していかなければならない等の挨拶がありました。 第二部の懇親会では、東京中国歌舞団による「揚琴の演奏と歌」を参加した70名余の会員がひと時を楽しまれての散会となりました。 ●北区日中友好協会―友好促進懇親会に141名が集う 6月3日、滝野川会館において北区日中の定期大会が役員、会員40余名の参加を得て開催され、本年度の活動計画など全ての議案が承認された。大会終了後は、会場を大ホールに移し、各界の有識者や中国人招待者を含め、141名の参加を得て東京・北京友好都市締結25周年記念として友好促進懇談会が盛大に開催された。 はじめにピアノとフルートの生演奏による日中両国の国歌で幕が開いた後、中国琵琶奏者として活躍されている北区在住の孟仲芳先生によるミニコンサート、安部学院・安部恵一校長のハーモニカ演奏があり、お二人の迫力ある演奏に会場の参加者は魅了されていた。中国人参加者の中には、後楽寮からの10名の研究員生や大学院生も出席、また、留学生時代に北区在住だった中国人参加者達が懐かしい顔を見つけては談笑する姿があちこちで見られた。最後は中国人参加者も前に出て、全員で「海はふるさと」を合唱するなど、大いに友好を深め閉会した。 |
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「胡錦涛体制の一年と今後の展望」−朱建栄氏招き第11回中国事情懇話会開く 都協会は第11回中国事情懇話会を6月25日、朱建栄・東洋学園大学教授を講師に招き、上野の東京文化会館で開催した。 今回のテーマは「胡錦涛体制の一年と今後の展望」。冒頭、近年の中国経済の発展について、インフラ設備や携帯・固定電話の急速な普及など具体例を挙げて、胡錦涛体制の背景としての、中国経済の目覚しい発展状況を説明。しばしば問題視されている沿海部と内陸部の貧富格差の拡大については、「マクロ的視点から見れば発展過程では当然起こり得ることであり、また、貧困層でも生活水準は上昇している。ただ上昇率が富裕層より低いだけ」との見解を述べた。 これらの背景を踏まえ、発足後1年以上が経った胡錦涛体制の特徴として、これまでの政権と較べ前任者の発言権がはるかに少なくなり、法治国家としての制度が確立してきたこと、また、SARSへの対応に見るように、情報を隠蔽するよりも開示するようになったことなどを挙げた。このほかに、「G本(GDP本位)主義」から「人本(人間本意)主義」への移行を示す例として、出稼ぎ労働者の強制送還撤廃や移住自由化への取り組みなどがあり、このような政策によって胡錦涛体制は中国国内で高い評価を得ている、と語った。 外交方面では、米中関係は比較的安定、懸案の台湾問題についても、中国が北朝鮮を含めた6者協議に協力していることから、米国は強行的姿勢を示すことができないと述べた。最後に日中関係に関しては、江沢民体制が歴史問題の解決を第一としたのに対し、胡錦涛体制は日中関係の全体的発展の中での歴史問題解決を目指していると、胡錦涛主席のバランス感覚、柔軟性を強調して締めくくった。 |
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![]() 第11回中国事情懇話会での朱建栄先生 |
![]() 毛参事官へお礼の花束贈呈(映画鑑賞会にて) |
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中国大使館で映画鑑賞会を開催 都協会中国語普及委員会は7月9日夜、中国大使館の協力により「大使館で中国映画を鑑賞する会」を開催した。上映作品は戚健監督・蒋文麗主演の「女帥男兵」(邦題「女コーチ」)。 都協会会員や中国語教室受講生ら130人が参加した。開催に当たり、松井幸雄委員長が新聞報道で見る大使交代のことに触れ、中国大使館の毛参事官へ感謝を述べたのにこたえ、毛参事官は「映画会を通じて、皆さんが中国語を勉強し、中国を理解しようとする熱意に感銘を受けています。もし帰国することになっても引き続き中日友好に努力し、皆さんの努力と熱心さを思い出してがんばりたいと思う」と挨拶、会場から大きな拍手がおこった。 |
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2004年北京国際駅伝・マラソン大会−東京の4市区から友好チーム参加 「2004年北京国際駅伝・マラソン大会」(北京市対友協・北京市田径協会主催、都協会など協力)が、4月11日、北京で開催された。中国、日本、韓国、モンゴル、アメリカ、ベトナムの6カ国が参加した国際の部に加え、女子60チーム、男子157チームが出場。今年新設された10qロードレースには女子143名、男子272名がエントリーして、19回の大会史上最多出場者となり、2008年オリンピックを内外に大きくアピールした。 4月としては50年ぶりという記録的な暑さの北京は、大会当日も快晴で最高気温27℃。午前8時30分に女子の部が正陽門広場をスタート、同8時50分に男子がスタートした。暑さの影響でタイムは伸びなかったが、国際(女子)の部は、中国チームが2時間19分52秒で3年連続9回目の優勝を飾り、日本は2時間22分31秒で2位、3位に2時間29分57秒でアメリカが入った。 今年の大会のもう一つのテーマは「東京―北京友好都市提携25周年」。東京から中野区、渋谷区、東久留米市と目黒区が選手団を派遣、日中3人ずつの混成による男子友好チームが大会に花を添えた。北京市対友協では、4月9日夜、「全聚徳」で歓迎宴を開催した。歓迎宴に出席した日中双方の選手たちは、初対面ですぐにうちとけ息もぴったり。歌も飛び出し、チームワークの良さをアピールした。 友好チームは本番も大健闘、男子157チーム中、渋谷―西城区チームは2時間25分31秒で11位を獲得した。中野―西城21位、東久留米―西城59位、目黒―崇文65位。渋谷区第2走者の鵜澤さんは「周りを見る余裕なく一生懸命走りました。参加できてよかった。よい成績に満足しています」と笑顔で語った。「今日はベストタイム。広々としていて、もっと走っていたい気持ちでした」と東久留米のアンカー国分さん。12歳や14歳の選手との“親子”チーム中野区は「記録より充実した交流がとてもよかった」。目黒区の3人はトライアスロンの仲間。早朝に天壇公園を走り、そこでも崇文区の人たちと交流をした。友好チームは、大会にも選手にも大きな成果と楽しい思い出を残した。 |
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![]() 正陽門広場をスタートした男子の部 |
![]() 4月9日の歓迎宴は大盛会 |
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東京-北京友好都市25年【その2】 「北京−東京の25周年は、もちろん歴史からみると長いとはいえないけれど、私たちから見たらある程度長い。友好の船や翼、青少年キャラバンや駅伝など、行政も民間も幅広い分野で交流を拡大し発展させてきたと言えるでしょう」―記念植樹の写真を見て懐かしそうに一人ひとりの名前を挙げた王笑一先生(87歳)。外事担当の副市長で秘書長兼任だった調印当時を「元気いっぱい一番仕事をしていた時期です」と振り返った。 79年3月、「澎湃たる世論」が美濃部都知事を動かした東京に対し、北京市は「各区の熱心な支持をもらい」調印に至ったという。「調印と重ねて思い出すのは周総理のことです」。ニクソン大統領や田中首相の訪中の際、北京市の外弁主任として身近で周恩来総理の仕事を見てきた王先生は、「周総理は、北京に見えた日本の友人とできるだけ多く会い、どのように中日交流を進めるべきか、深めることができるか、意見交換を重ねていました。『中日友好の為に日本の人民に寄与する』という考えをいつも持っておられた」と語った。 「東京-北京の関係が今日まで発展してきたのは、鈴木元知事、三木前会長、貫洞会長ら多くの老朋友や両国にいる中日友好に情熱をもった人たちの努力のたまもの。残念ながら兄弟のように付き合った三木前会長や古い友人の多くは亡くなられたけれど、友好事業の新しい人を作るために青少年の交流はとても大切」。北京市人民対外友好協会の初代会長としての10年間は「当初は副市長と兼務だったので、ある程度行政の良いところを生かして民間の交流を進めた」という。 「副市長のときは厳格な印象だったという話を聞きましたが、民間交流に携わってお気持ちの変化はありましたか?」との問いにすぐ「没有、没有(ありません)」「自分はずっと変わっていない。他人に優しく平等の気持ちで接してきました」と言った後で「でもその意見は他の人からも聞きました」と笑った。「今は公の仕事から離れて気持ちが楽。平常心で楽観的な考えで生きていて幸せな晩年だと思います」と穏やかな笑顔で語った。(聞き手=馬恵麗・吉田愛子) |
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日中友好スポーツ交流会に100人が集う 4月18日(日)、北区滝野川体育館で日中友好スポーツ交流会が開かれた。当日、体育館前では、フリーマーケットも催され、公園内は春の陽気で満ちていた。このスポーツ交流会は、北区日中友好協会が毎年開催してきた国際スポーツ交流大会を発展的に継承して、東京都日中友好協会とと北区日中が共同で主催したもの。種目にはバレーボール、バドミントン、ドッジボール、卓球そして「面白卓球」を採用した。 当日は、天候にも恵まれ、参加者数も100名を突破、人数はひとまず合格だ。次は内容。参加者に心から楽しんでもらえるかどうか。実行委員会で検討を重ねたのもここだ。体を動かすのが苦手な人にも楽しんでもらうのが、一つの目標。アイデアを絞った「面白卓球」は、本邦初公開。ふつうのラケットの代わりに、お盆、フライパン、友好手帳、幼児用ミニ・ラケットを使用、派手な音はするわ、コントロールに四苦八苦するわ。自慢の腕を封じられた人も多かったのでは?ドッジボールは、子供の参加も多く、ニーズにはまって大成功。 中国人の参加者は最終的に31名。スカイパーフェクトTVの中国語チャンネル「大富」が翌日夜の「日本のニュース」で報道した。 |
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![]() 全員集合して記念撮影 |
![]() お盆と小鍋の面白卓球対決 |
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満開・花冷えの横浜で-第3回日中友好交流会 都協会中国語普及委員会では、楽しみながら言葉や文化を学ぼうと、一昨年から日中友好交流会を開催。3回目の今年は4月4日、横浜での花見と散策を企画、会員や中国語教室受講生のほか、大学生、専門学校生ら多数参加した。中国人は留学生、社会人など年齢、職業も様々で、合計50名を超す盛況ぶりだった。 当日は午前10時に山手駅集合。20分ほど歩き、花見会場の根岸森林公園に到着した。今年の桜は開花が早く、葉桜を心配したが、数日前から気温の低い日が続き、待っていたかのように満開。しかし当日はあいにくの花冷えで、参加者全員の自己紹介と昼食を早めに済ませ、ともかくハイキングで体を温めることになった。洋館や教会が立ち並ぶ港町・横浜ならではの風情を堪能しながら休憩地点の港の見える丘公園まで1時間ほどの道のりをゆっくりと歩いた。中国語や日本語でおしゃべりしながら、気が付けば公園に。しばし休憩の後、最後の目的地、中華街の「横浜大世界」へ。ここは20世紀前半の上海を再現した施設で、京劇鑑賞や茶館での一服などを楽しみながら交流を深めた。 雨のため早めのお開きにしたが、その後、希望者40名は中華料理店での飲茶に舌鼓を打ちながら歓談した。 |
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![]() 根岸森林公園での自己紹介 |
![]() 春の横浜でのハイキング |
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地区協会だより ●練馬区日中友好協会―歌や踊りで「春の会」を楽しむ 練馬区日中と中国「帰国者」家族とともに歩む練馬の会(同歩会)共催の「春の会」が3月7日午後、大泉学園の勤労福祉会館で、100名余りが出席して開催された。 池尻成二練馬区議会議員(同歩会)の司会、中村勇区日中会長の挨拶で開会、来賓には片岡健都協会副理事長、江川陽子お茶の水中国帰国者日本語学校校長はじめ多数の出席があり、菅原宗一お茶の水日本語学校前理事長の発声で乾杯、賑やかな宴に入った。 同歩会会員と若い家族たちの楽しい歌や踊りに、次々と飛び込みの歌声が登場して会場を沸かせ、板橋の山下智恵子師匠の日本舞踊と「虎鷹拳院」の藤松英一.柳井伸介両氏による演技が会場のムードを一層盛り上げた。 ●千代田区日中友好協会―5分咲きの「さくらまつり」 千代田区日中では、恒例3月26〜28日に千代田区と区商連主催の「さくらまつり」に参加して、中国物産フェアを開催した。折りしも桜は5分咲き、好天に恵まれて人出は申し分なかった。毎年暖房の室内から抜け出して、外に出たくなるのがこの時期の花見気分であるが、やはり庶民の景気回復はまだと見えて、財布のひもは固かった。この催しも今回で24回を数える。会員の世話役たちもそれだけ年輪を重ねており、商品の仕入れ先の老化(減少化)もあって、商品を揃えるのにも苦労があった。一度は顔を出してほしいという会員や友人たちへのダイレクトメールの効き目も渋く、全体的に検討点の多いフェアであった。 |
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![]() 練馬区日中「春の会」-同歩会会員と家族による合唱 |
![]() 千代田区日中「さくらまつり」でのひとこま |
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500人が学んだお茶の水日本語学校-第1回同窓会を開催 都協会、東京都、総評会館の3者の協力で開設している「お茶の水中国帰国者日本語学校」の第1回同窓会が、3月21日午後、お茶の水の総評会館で行なわれた。会には江川陽子校長をはじめ、教師、来賓、卒業生ら90名が出席した。 江川校長は、「開校以来18年が経ち、現在の在校生を含めて497名がここで学びました。今日は初めての同窓会、懐かしい友人たちと楽しいひとときを過ごして下さい」と挨拶した。続いて、中国からの帰国者で、現在医師として活動をしている石川宏理事からは「異文化の中での心の健康維持」というテーマで、慣れない環境の中でのストレス対処法について講演があった。その後懇談に移り、久しぶりに再会した同窓生たちは、学生時代の思い出や近況などについて語り合った。また、2月にオリンピックセンターで行われた日本語スピーチコンテストで最優秀賞を受賞した今年の同行卒業生がそのスピーチを披露、会は大いに盛り上がった。 4月8日夜には第19期入学式が行なわれ、都協会からは中村勇常務理事が出席した。今期は新入生、継続生各10名が同校で学ぶ。 |
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新スポーツ「太極柔力球」-第1回普及講習会に150人 中国生まれのニュースポーツ「太極柔力球」を日本に紹介するために、NPO法人東京都日中と社団法人東京都レクリエーション協会は、北京から講師を迎えて3月18日、東京体育館サブアリーナで「太極柔力球普及講習会」を開催した。北海道や宮崎、熊本からの参加もあり150名が基本を学んだ。 講師は北京体育大学の劉家驥先生と賈秀琴先生。「迎え・納め・引きつけて・放す」という基本動作を繰り返し練習した。優雅で緩やかに見えるが、砂の入ったボールを落とさずにラケットに納めるのはなかなかの難事業。それでも参加者の多くがふだんダンスなどを教えている人たちとあって、講習終了の頃にはきれいな動きを見せて講師を喜ばせた。 5月15日には、味の素スタジアムの体育室で30人が参加して復習の練習会を行った。基本動作のビデオや参加者のリードで2時間半、気持ちのよい汗を流した。「楽しいので毎日続けている」という人や周りの仲間に広げるためにラケットを100本単位で購入する人たちもおり、日本レクリエーション協会の機関誌「月刊Rec」に紹介されたこともあって、徐々に広がりを見せてきている。 都協会と都レクでは、北京市対友協と中国老年人体育協会などの協力を得て、「日本太極柔力球協会」立ち上げの準備を進めている。 |
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![]() 太極柔力球普及講習会の様子@ |
![]() 太極柔力球普及講習会の様子A |
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雲南省シーサンパンナ-国境への旅 シーサンパンナの密林では自然保護の効果があらわれ、野生の象は400頭近くに増えた。観光スポットの野象谷では残念ながら象の姿は見えなかったが、原生林には玉荷花が美しく咲いていた。 ラオスとの国境のモンラー県モーハン口岸へ。ここはいま道路や交易施設建設の真っ只中、今年は昆明からラオスを経てタイのバンコクに至る高速道路の建設が始まり、6千人の中国人労働者がラオス側で建設に従事し、将来はアセアン全体を結ぶ高速道路を作るという。アセアンに加盟した中国の東南アジアに向ける意気込みが感じられた。望天樹、塩井、タイ族、ヤオ族の集落など珍しい見聞を楽しみ、ホテルに帰るとシーズンとのことで盛大な結婚式があり、伝統的な明代貴人の衣装姿の新郎新婦を祝福した。 次は西に向って走り、ミャンマーとの国境にあるモンハイ県ターロー口岸へ。ここはミャンマーを経てタイのチェンマイに至る古くからの交易路だが、省レベルのためのんびりした国境で、目の前にミャンマー側の建物も見えて楽しい。帰路、プーラン族の村に寄り高床式の家に上がる。生活は一見貧しく見えるが若い娘たちは突然訪ねた私たちに堂々と応対し、美しい民族衣装に着替えて村の中を案内してくれた。 シーサンパンナ州の中心チンホン市は観光地としての整備がさらに進み、優雅な庭園のあるレストランでタイ族料理をいただく。文革中破壊された王国時代の大寺院も再建され、仏教大学が置かれている。郊外のタイ族の村にも変化の波は及んでいるが、水神の女神を描いた井戸や神樹など健在で、穏やかな暮らしが続いていた。 昆明に戻ると雲南省人民対外友好協会の招待宴。洗練されたおいしいお料理をいただきながら楽しく懇談、全員大満足の旅行が終わった。 |
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![]() プーラン族の女性の民族衣装姿 |
![]() ヤオ族のおばあさん |
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東京-北京友好都市25年【その1】 東京都と北京市が1979年に友好都市関係を結成して、今年は25周年。 1976年4月、東京都は「日中友好東京都青年の船」を派遣し、翌年4月には「第1次東京都民の翼」を派遣した。これらを通じて東京都日中友好協会と東京都の自治体及び各界との結びつきが一段と強化された。76年と77年の2回にわたり「区・市・町長訪中団」が派遣されたこととも相まって各自治体の日中友好への気運は高まり、友好議連も数多く結成された。東京都議会の日中友好議員連盟は両国首都の友好都市樹立を強力におしすすめた。折しも78年に日中平和友好条約が結ばれ、時の美濃部東京都知事は、澎湃たる世論に押されて79年3月北京市を訪問し、北京市革命委員会との間で次のような議定書が取り交わされた。 [東京都と北京市との友好 都市関係の結成に関する 議定書] 日中平和友好条約の締結と発効は、日中友好関係が新しい歴史的段階にはいったことを示すものである。このときにあたり、日中平和友好条約に規定された原則・精神をつらぬき、両国民の友好往来をより一層強めるために、東京都と北京市は友好都市関係を正式に結成する。このことは、友好都市間の往来を通じて、日中友好事業のために絶えず新たな貢献をすることを目的とするものである。 東京都と北京市は、新しい友好の基礎の上に両都市の市民間の友好往来を増進し、経済、文化芸術、教育、体育、科学技術、市政管理、都市建設などの面において多様な形式により、広汎な交流と協力を行う。 両都市の友好関係を絶えず強めるために、両都市の首長は、定期的又は不定期的に会合し、両都市の交流と協力を促進することについて協議するものとする。 一九七九年三月一四日 |
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北京で二つの囲碁大会-東京都囲碁愛好者訪中団 都協会は、2月7日から10日まで「東京都囲碁愛好者訪中団」9名を派遣した。訪中団選手6名のうち、大田区職員の狂碁会メンバーが多くを占めた。 北京での最初の大会は8日、西城区との「新春囲碁交流大会」。大会前の交流晩餐会で許副区長から「友好第一、勝負第二の精神で友好を深めましょう」と歓迎の挨拶があった。午後7時から月壇体育館で対局開始。今回驚いたことが二つあった。一つは囲碁の対局が体育館で行われることだ。中国では、囲碁は頭の運動(考え、石をつまみ、打ち、並べる)ということで体育運動局の指導下にあり、試合は一般スポーツと同様に体育館で行うそうである。もう一つは、白黒の手合い差が7目半ということだ。日本では、ようやく5目半から6目半になったばかりなのである。対局が始まった。結果は全敗であった。終局後は、「手談」(碁石での会話)による石の並べ直しが始まり親交を深めあった。友誼賓館に戻ると、明日の対局に備えて夜遅くまで反省会は続いた。 9日、午前9時海淀棋院に到着。一際目立つ赤い横断幕を正面にして選手が盤前に座ると、「中日囲棋交流大会」が開始された。静寂な空間に石の音だけが響く。反省会の甲斐あってか3対3の引き分け。交流昼食会で、田中二段は「私は三箇所間違えてしまいました」。対戦相手の金二段は「そうでしたね。最後の一箇所間違えてくれなければ私が負けていました」と互いの健闘をたたえ、賑やかな歓談が続いた。 二つの大会を挟み、天壇公園、万里の長城、頤和園などを参観、訪中最後の夜は、北京市対友協による歓迎宴が北京ダック「全聚徳」で行われ、韓秀峰常務副会長は、今年最初の訪中団を心から歓迎するとともに「第7回囲碁大会には代表団を送りたい」と挨拶した。今回の訪中の成果を都日中囲碁大会に生かし、大会が一層飛躍発展することを期待する。 |
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![]() 西城区と大会後の記念撮影 |
![]() 海淀棋院での対戦模様 |
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今年も楽しく実践を-「日中女性新春の集い」開く 恒例の女性委員会主催「日中女性新春の集い」が1月31日、財団法人日中友好会館内の豫園で開催された。中国大使館の毛参事官、郭二等書記官はじめ新華社の黄東京特派員ら日本側とあわせて60余名の集いとなった。 暮れに帰国され、「一常州人として」故郷で1ヶ月を過ごされた毛先生は、人々の生活が豊かになっていることを実感したという。「中国の経済発展は日本にとっても有利であるという正しさを身にしみて感じています」と、前日の日経新聞から中国の経済に関する記事を紹介した。靖国など政治の問題にも率直に触れながら民間交流の大切さを語り、「私たちは四角いことが丸く収まるように楽しく、実践していきましょう」といつものように我々を励ましてくださった。 お話のあと飲茶をいただきながらテーブル毎に歓談、そのあとゲストのNHK「中国語会話」に出演中の李浩さんのトークと歌を楽しんだ。留学生としての経験から日本人との交流に「自分が一歩踏み出せば相手も近くなる。これが僕の日中友好」。デビュー曲の「シークレットラブ」や中国語会話でのソリ舌音を使った最新曲をユーモアたっぷりに解説しながら歌った。トークも楽しくふだん余り接することのない若い世代の音楽もしみじみ味わった。全員でのビンゴや大部分が女性委員の寄付の品々によるミニバザーも盛会だった。 |
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![]() 講演する中国大使館・毛参事官 |
![]() 李浩さんの歌と愉快なトーク |
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第19回中国語春期スクーリング-発音・会話・作文の3講座開く 2月29日、第19回中国語春期スクーリングが、大崎の南部労政会館で行なわれた。「発音クラス」は島村泰子・都協会中国語スクーリング講師と許堅・大田区中国語会話学習会主任講師。「中国一人歩きpartU」は徐潔・大田区中国語会話学習会主任講師。「病句改正教室」は山下輝彦・慶應義塾大学教授(都協会中国語普及委員会顧問)が担当。 33名が参加した発音クラスは、都協会の中国語スクーリングではおなじみの二人の講師による授業で、ピンインや四声の聞き取り練習から、漢詩、中国の小学校の国語教科書の音読まで行なう幅広い内容。「中国語は全くの初心者」と緊張する受講生に対して、島村先生は「全くの初心者の方に教える私も緊張しております」と返し、和気あいあいの中、充実した授業は受講生から好評を博した。 「中国一人歩き」には17名が参加。出国から入国までの旅行会話を中心に行なった昨年夏の講座に続いて、今回は中国国内での買い物や道の尋ね方などを学んだ。店員に扮した徐先生と受講生が1対1で値引交渉の練習をするうちに、「この場合はどのように言うのか?」など、活発に質問が出るようになり、実践的で積極的な授業となった。 「病句改正教室」には16名が参加した。このクラスでは、日本人が誤りやすく、しかもどこが間違いなのか分かりにくい和文中訳を徹底指導。受講生はテキストを予習してきて、当日は輪番で中国語作文を発表した。スピーディーな授業展開であったが、山下先生の分かりやすい解説を聞くと、一同「なるほど」と納得。限られた時間を十分に活用した密度の濃い授業に、「次回もぜひ山下先生に教わりたい」という声が多く聞かれた。夏期スクーリングは8月下旬開催の予定。 |
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![]() 中国一人歩きの授業風景 |
![]() パソコンやプロジェクターを用いて作文指導 |
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盲・ろう・養護学校書道作品展-北京からの作品に高い関心 東京都盲・ろう・養護学校文化連盟などの主催による「第10回盲・ろう・養護学校書道作品展」が1月10日から15日まで、都内の養護学校のうち11校が参加して、千代田区の九段ギャラリーで開催された。 北京市対友協の協力で昨年初めて北京の児童の書道作品が寄せられたが、今年は北京市第二聾人学校と西城培智学校から書と絵画14点が出品された。最終日の15日には、三笠宮ェ仁親王殿下が会場を訪れ、こどもたちが自分の作品を説明するのを時折質問をしながら聞かれた。中国の児童の作品の前では「うまいなぁ」と足を止められ、漢字の意味や「福」を逆さまに飾る風習などの説明にうなずかれていた。中国の特殊教育学校からの出品は初めてではないかと連盟の佐久間勉教諭。 会場のエレベーターホールに飾られた絵画5点も力強いタッチと鮮やかな色使いでパンダや小鳥などが描かれ「みているだけで楽しくなる」と会場を訪れた人たちの関心を集めた。 |
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![]() 北京市西城区の特殊教育学校j児童の書 |
![]() 同校児童の描いた鮮やかな彩の絵画 |
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『魯迅と日本』沼野誠介著-都協会教職員部会主催「歴史連続講座」を一冊の本に 都協会参与の沼野誠介さん(元中学校校長、元桜美林大学講師)が『魯迅と日本』を出版した。 これは都協会教職員部会が主催する歴史連続講座で2001年に5回にわたって講義した内容をまとめたもの。出生からその死まで、生きた時代、出会った人々など貴重な資料をもとに魯迅の55年の生涯をたどっている。明治40年、27歳の魯迅が袴を穿き鳥打帽を被って神田や本郷の古本屋を歩いた描写は、日本留学時代を彷彿とさせる。『孫文と日本』(93年潟Lャロム)の著書もある沼野さんの魯迅評は「新中国の形を作った孫文に対し、中身を作るために生涯苦しんだ人」という。(1,200円(税別)文芸社03-5369-2299) |
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