「都日中青年委員会の陳麗麗です。都日中とのご縁や、来日に至った経緯、平和に対する想いを綴りましたので、皆さんにシェアさせていただきます。」
小さい頃日本のドラマやアニメから強い影響を受けました。一番記憶に残っているのは、山口百恵さんが出演した「赤い疑惑」です。そのドラマでの日本人は優しい、親切そして家庭想いで、コミュニケーション上手、特に言葉の表現がとても魅力的でした。当時の中国にない物や出来ない事が多く、とても新鮮で良い風と思いました。その時から私日本の専業主婦、そして俳優の山口百恵さんや日本は憧れになった。小さい種を心の中に撒きました。この国に行って見たいなあと思いました。
すこし大きくなってから、戦争の事そして昔の歴史の事を少し知り、日本は中国の敵であった事や戦略者という史実を聞いて、とてもつらかった。どうして、戦争があった、なんで仲良くなかった、どうして共生出来なかった。中国と日本はこんなに文化的に似ている事が多く、漢字、食文化、伝統、祭りまで同じだったのに、余りにも理解出来なかった。そして この二つの国が好きな私はどうしたら良いか、分かりませんでした、悔しくてたまらなかった、そして矛盾(もどかしい)の気持ちを長年持ち続けていった。まだ、さらにつらい出来事が起こりました。
それは2012年島問題で中日関係が悪化し、当時中国で本格的に日本語を勉強し始めいていた私はとても悲しく感じました。2011年の東日本大地震がある際にとても現地でボランティアをしたかったので気持ちが大変つらかった。島問題で国内では、日本について反論や批判の声を高まり、暴動が始まった。皆さんに迷惑かけないように皆の前で日本の事日本語勉強している事言わないようにした。いろいろ大変な事が沢山ありました。それでも日本が好きな気持ちは変わりありませんでした。知識や文化そして人を知りたかった。その時から決意をしました、平和な社会を求めるため、私は何か出来る事はないかと考え、話し合い、お互い理解をすることが重要だと思いました。そして、私は批判の声が上がる中2013年に日本へ初出発しました。
2013年初めての日本で、私は日本語の勉強以外に、日本を知るため、毎日この目で色々な事を確かめました。中国国内と全然違う環境でしたが日本人は私のような中国人に優しくしてくれました。私も日本で感じた事や目で確かめた事を伝えたかった、しかし、当時は非常に難しかった。そしてわたしは2度、3度と日本を旅が始めました。現在は留学し、日本で生活をしています。これもこの数年で社会が益々平和になり、中国と日本の国交が、正常化した事のお陰です。そうでないと、日本に来る事さえ考えられなかった。だから、私がここにいる時間やいる事自体に感謝し、大切にしています。それはいつか私の思いを伝える日が来る事を願っているからです。日本に来て今までの長い間、自分は友好交流のため、様々なボランティア活動を参加し、様々な方と会話して、イベントをやってきました。もちろん日本の方だけではなく、中日友好ため日本で活躍している中国の団体や個人と会いたり、よい関係を作って来ました。いつかわたしもその一員になりたいと思っています。
その時 和華雑誌編集長の孫秀蓮のご紹介で当時日中協会青年委員会委員長の于子豪と知りとても嬉しかった。これは良い機会ではないかと思いました。そこで、早速く日中友好協会に加入する意識を申し上げました。日中友好協会は長い間日中友好のため、そして社会のため、本当に大きな貢献していた。とても素晴らしい団体と思いました。 さらにこの縁、この絆はとても深いと私は強く感じました。
日中友好協会に関わって、日中の人々と関わり、仲良くし、人脈を広げ、コミュニケーション能力を高め、さらに日本語会話能力や文章能力を高めて行きたいです。また様々なイベントに参加し、中日文化交流会をしたいです。今勉強している心理学をさらに学び、そして将来中日関係や交流に少しでも役立てたいです。私一人の力は小さいので、人と人で手を繋ぎ大きな輪を作る事が大切です。皆の力を合わせ平和な社会を作る、点と点を繋ぎ糸になり、強い絆を作りたいです。近い将来私もコミュニテイや異文化交流の団体などを作りたいです、そこで様々な人を集め、友好交流し、中日文化交流をするのが一番の夢です。この夢を叶えられたら嬉しいです。そして中国と日本の架け橋になる、私たち自身も居場所を見つけることで、今まで心配してくれた親友や家族も一安心出来るのではないと思いました。彼らにとって大きな誇りになりたいです。
今コロナ中色々また大変になり、政治、経済、留学、またお仕事など沢山ダメージの影響を受けて、何とかこの大変中では皆さんの些細な力と気持ちを集めて、団結しこの困難を乗り越えていきたいと思います。中国ではあることわざは「団結就是力量」私が信じる。今こそ団結が大事、友好が大事、そしていつでも友好と平和を祈ります。これは、これこそ私が平和についての考え、平和の夢であった。
東京都日中中国語普及委員会・都日中青年委員会・群馬日中青年委員会委員—陳麗麗書