現地で見た北京オリンピックは日本での報道とどう違ったのか

2022年3月21日(月)オンラインにて、北京大学の馬場公彦氏、朝日新聞の畑宗太郎氏をお招きし、現地で見た北京オリンピック・パラリンピックの状況についてお話をいただきました。

まずは馬場先生にお話いただきました。

新型コロナウイルス対策

スマートフォンを通したID管理が厳しく行われていました。

ワクチン接種は32億回行われており、中国の国民は3回目の接種になっているということでした。

ワクチン接種は義務付けられているわけではなく、自主的に接種する形になっています。

中国では日本の市町村レベルだけでなく、それよりも細かいコミュニティ単位で感染者数の発表が行われています。

スマートフォンの健康カードを見せれば問題なく、レストラン内に敷居などは求められていないというのが日本との違いかと思います。

北京オリンピックについて

立春の2月4日が開幕式でした。

そして、24回目の冬季オリンピックでした。

開幕式、閉幕式はチャン・イーモウ監督が総合監督を務めました。

ギリシアのチームの後にトルコが入場してきました。

なぜギリシアの次がトルコなのか。

その理由について疑問に思っていたところ、国名を簡体字で表して、1文字目の画数の少ないところからの並び順になったということでした。

トルコは土で3画なので、早かったということですね。

開幕式での印象的なポイント

貧困脱却を表現

印象的な部分の一つが、オリンピック讃歌で、ギリシア語で44人の子どもたちが歌いました。

有名な児童少年合唱団などではなく、河南省の山里の子どもたちだった。

その歌唱指導をしたのがとうしょうらんさんという79歳の女性でした。

貧困脱却と小康社会の実現をこれは表しているということでした。

チャン・イーモウ監督は有名人を使っているわけではなく、一般市民が開会式、閉会式の主役になっているというのが特徴でした。

環境への配慮を表現

もう1つは聖火点灯の時もありました。

夏季の北京オリンピックの際は盛大に行われていましたが、冬季の北京オリンピックの場合はいつ点火されたのかがわからないほどでした。

その時はなぜこのような演出だったのかわかりませんでした。

帰ってからその意図を聞いてみると、環境保全の観点から、不必要な火薬は利用せず、必要な燃料のみを使うといった形にしたそうです。

一葉落ちて天下の秋を知るといった日本での言葉にもあるような意図だったそうです。

競技の様子について

日中両国ともに注目していたのはフィギュアスケートで羽生結弦選手は中国での人気も非常に高いと感じました。

容姿ももちろんですが、人柄に好感を抱いている人が多いのだろうなと感じています。

フィギュアスケートのボランティアをしていた関さんにご紹介いただきました。

北京オリンピックの開催前は、いつ羽生結弦が到着するかという記事があるような人気ぶりだったそうです。

2月10日にフリーの演技がありましたが、みんな4回転アクセルに注目をしてテレビを見たそうです。

20日のエキシビジョンでも本当に美しいと高く評価されました。

エキシビジョンのために大量の痛み止めを飲んだという事も聞いて、感動しました。

より多くの中国人がフィギュアスケートに関心を持ったと思います。

ジャパンコンソーシアムでボランティアをされていた金さんは、首都体育館で日中間の意思疎通の仕事をしていました。

また、メディアの取材を受ける場所(ミックスゾーン)の管理もしており、選手のことを間近で感じることができました。

羽生結弦選手はショートプログラムで満足のできない演技がありましたが、氷に嫌われちゃったなと思って演技していたということを発言していて、残念そうな様子が印象的でした。

五輪2連覇をした後も理想の羽生結弦だという完成形に近づきたいという発言をしていて、勝つことだけを目指しているのではないということが印象的でした。

フリープログラム終了後、あれが僕のすべてだったという発言の様子は今でも印象に残っているそうです。

馬場先生からは、オリンピックとなると、国同士の対抗といった意識になりますが、選手間の交流、友情という面についてはもう少し報道しても良いのではないかと感じたというお話がありました。

中国ではまだまだ冬季競技人口は少ない状況です。

日本の札幌オリンピック当時の自身を振り返ると、スキーのジャンプはそこで初めて知った状況で、カーリングなどオリンピックをきっかけに競技人口が増えていくのではないかと思っています。

閉幕式で感じた日本と中国のつながり

リラックスした雰囲気が印象的でした。

選手は一周して後、終わってから観覧席で選手も観戦をしていて、選手本位のおもてなしの閉幕式だと感じました。

最も心を打たれたのは、柳を折って情けを表すという部分で、送別という歌が流れたが、日本では旅愁という歌になる。

中国では日本の仰げば尊しのように卒業式などで歌う歌になっている。

アメリカの歌に日本人が歌詞をつけて、学校で歌うのを聞いた李叔同という中国人が中国に持ち帰って歌うようになったという経緯があります。

記者の視点から

中国の人たちの考えなどを取材してきた畑さんからもお話をいただきました。

選手村、開会式、閉会式、カーリング、フィギュアスケート、スキージャンプなどを取材されたそうです。

多くが2008年のオリンピックでも使われた会場で、選手の評判は良かったとのことでした。

最も印象に残ったのは中国の人たちのおもてなしの精神でした。

1.8万人のボランティアでほとんどが英語が堪能な学生のみなさんでした。

バブルの外には出られないメディア関係者でしたが、町中には出られないということで、オンラインでのツアーを開いてもらいました。

旧暦の大晦日には書道や切り絵も体験もありました。

毎日PCR検査をホテルで受けていたのですが、看護師は防護服で会っていましたが、すぐに親しくなって、火鍋を食べられないというのを残念だという話をしたら、翌日には火鍋を持ってきてくれたりしました。

春節の時期にもかかわらず、ボランティアの人たちもバブルの外には出ず、家族にも合わず記者などの生活を支えていたということでした。

実際にはじめて中国に滞在した人からは、中国の印象が変わったという話を聞きました。

ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました!

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