北区日中では、秋晴れの10月20日に日中友好を訪ねる飛鳥山散策を実施しました。
今年、新一万円札の顔となった渋沢栄一が、晩年に暮らした飛鳥山周辺を散策するイベントですが、2021年に続く2回目の実施です。
王子駅前に集合した9人は、はじめに第1散策ポイントの北とぴあ前に移動しました。ここには北区の名誉区民であった故北村西望作で知られる「長崎の平和祈念像」の縮小版レプリカが建立されています。
この後の第3散策ポイントの「平和の女神像」も北村西望作との説明を受け、参加者は次の散策ポイントの「王子神社」に向かいました。ここは2年前に創建700年を迎えた東京十社の一つで、徳川将軍家祈祷所として厚遇を受けてきました。三代将軍家光は社殿を新たに造営させた他、神社縁起絵巻の制作を命じています。
その絵巻の中に徐福伝来図がありますが、王子神社が徐福伝説の多い紀州熊野権現より奉斎されたことによるものと思われます。絵巻は幕末の火災で焼失していますが、幸いなことに幕府絵所による写本が飛鳥山博物館に残されているとのことです。この日の王子神社は七五三や誕生初宮参りなど、多くの家族連れも参拝に訪れていました。
ここから更に飛鳥山公園に移動しましたが、この日の飛鳥山公園ではハワイアンフェアが開催最中で多くの来場者が舞台のフラダンス鑑賞やキッチンカーでの食事等を楽しんでいました。
販売の出店テントの間を抜けて、公園中ほどにある第3散策ポイントの「平和の女神像」前に移動しました。この像は1972年の日中国交正常化を記念し、北区の政財界が中心となって募金活動を行い、北村西望氏に制作を依頼し、1974年に建立されました。今年50周年の記念式典が北とぴあで開催されていますが、多くの区民がその存在すら気付かない中、参加者は当時の北区民の日中友好に対する熱い想いに深い感銘を受けている様子でした。
最後の散策ポイントは旧渋沢庭園です。晩年の30年をこの飛鳥山の邸宅で暮らした渋沢翁は孫文とも交流し、中国の水害では募金活動を行い、辛亥革命直後に本国からの仕送りが途絶えて生活に困窮していた中国人留学生340余名に奨学金を贈るなどの支援をしていたことをガイド役から説明を受けた参加者は深い感銘を受けたようでした。
なお、庭園の中庭でもハワイアンフェアの特設ステージがあり、多くのフラダンスグループが芝生の上で日頃の練習の成果を披露していましたが、多くの観客から盛大な拍手が贈られていました。渋沢翁は世界から多くの賓客を招き、国際交流に尽力していましたが、ハワイのカラーカウア王の招待会の折にフラダンスが日本で初めて披露されたことにより、飛鳥山が日本におけるフラダンスの聖地と認識されるようになったようです。この日の散策の参加者は北区における日中友好の歴史に触れながら、ハワイアンフェアも楽しんで頂けたようでした。