中国と関わる社会人にインタビュー
こんにちは!
この記事では、東京都日中友好協会のインターン生が中国と関わりながら活躍する方々にインタビューをしています。
将来中国と関わりたいと考えている学生の方、中国に関心のある方ぜひご覧ください。
他の方のインタビュー記事はこちら
No.1 井上正順さん
No.2 伊沢淳一さん
No.3 石塚諒平さん
No.4 瀧口賀子さん
~様々な面で中国と関わる島田さんが感じる「女性×キャリア×中国」とは~
ご経歴
東京外国語大学で中国語を専攻し、在学中に1年間大連理工大学へ留学。
卒業後は、半導体関連の研究所にて日中英の特許翻訳の仕事に携わる。
現在はIT企業で人事を担当。また、2018年に東京都日中友好協会に入会、現在は青年委員会副委員長と広報担当を務める。
高校で初めて中国へ
初めて中国との関わりを持ったのはいつでしたか?
最初のきっかけは、高校1年生の時に中国を訪れたことでした。
地元の長野市が河北省石家庄市と友好姉妹都市だったため、交換ホームステイプログラムが当時開催され、私もそこに参加したんです。
中国で日本語を専攻している高校生を受け入れたり、反対に私も中国でホームステイをするというプログラムでした。
ーそうだったのですね。その時すでに中国に関心があったんですか?
北京オリンピックが開催される前のことで中国はまだ今のように発展しておらず、特別何か印象があるというわけではありませんでした。
ただ長野県は中国との関わりが深く、戦時中の中国残留孤児の方々の中に長野県にルーツを持つ人も多くいました。
そういった歴史や背景もあったので、中国のことはほとんど知りませんでしたが、ひとまず行ってみようと思ったんです。
初めての中国訪問はどうでしたか?
2~3日間北京へ、その後10日間ほど石家庄に滞在しました。
当時中国語は全くできず、日本語ができるのはホームステイ先にいる高校生の子だけだったので、ボディーランゲージなどでコミュニケーションをとりました。でも家族もとても良くしてくれて、北京オリンピックに向けた熱量も感じて、すごく面白い国だと思いました。
ー行ったことで、何か自分の中に変化はありましたか?
「何も分からない遠い国」という印象から、食や文化で日本と通じるものがある国だと印象が変わりました
また、あの頃の中国は国民全員が豊かとは言えない状況で、北京市内もまだ道が舗装されていなかったり、ホテルの水が出なかったり。今では想像できないですよね。笑
そのなかで、もっと良い生活を目指して頑張っていこうという姿がとても印象に残りました。
一方、当時の高校生の自分にはやりたいこともなくて、ただ漠然と受験勉強をしているだけでした。
そんな自分と、向上心を持って勉学に励んている中国人の姿を比べて、刺激を受けたのを覚えています。
そして、この訪問をきっかけに中国語を勉強するようにもなりました。
大学で再び留学へ
大学ではどのように中国との関わりを持っていましたか?
東京外国語大学に入学をし、中国語を専攻しました。
3年生のときには、大連理工大学へ一年間留学をしました。
大連には日本人街やロシア人街があったりして、中国でありながら他国の雰囲気を味わえるんです。そういった雰囲気が好きでしたね。
ー大学の交換留学で行かれたのですか?
交換留学ではなく、一般財団法人霞山会の奨学金を利用して行きました。この奨学金は、現地で何かを研究することが条件だったんです。
せっかくの留学という機会なので、単に言語だけではなくて現地に密着した社会学的なことも学びたいと思っていた私にはぴったりだと思い、応募しました。
卒業後、特許翻訳のお仕事に
特許翻訳とは、具体的にどのようなお仕事ですか?
特許権や商標権など、企業の知的財産に関わる書類を翻訳する仕事です。
語学力はもちろん、その製品や技術に特化した専門的な知識が求められます。
そのため日常会話の中国語というより、アカデミックで専門性の高い中国語が求められていました。
また、同期3人のうち2人が中国人だったので、業務中やランチのときなど日常的に中国語を使用していました。
ー就職活動では、中国語という軸を意識されていたのですか?
中国語は絶対の条件ではありませんでしたが、ずっと勉強してきた中国語を仕事でも使えればいいなという気持ちはありました。
この会社は、同じ大学の先輩も多く所属しており、外国語を使えるのではないかと思っていました。
特許翻訳のお仕事を経験されて、良かったことはなんですか?
特許翻訳は、翻訳の中でも専門性を身に着けられる分野だと思います。
仕事で経験を積んだ後、独立してフリーランスで働かれている方もいらっしゃるので、そういった働き方ができるのは一つの魅力かもしれません。
また、業務上ライフバランスを取りやすい環境であったため、語学を活かしながらライフイベントも大切にしたいという女性の方は大変働きやすいのではないかと思います。
そして、半導体の基礎研究をする研究所で特許翻訳を行っていたため、日本の最先端の半導体技術に触れることができ、それを翻訳して特許として技術を守ることができるということに大きなやりがいを感じていました。
IT企業の人事へ転職
現在の会社への転職を決められたきっかけはなんですか?
先程お話したように特許翻訳の業務には良いところも沢山あったのですが、特許翻訳という専門的な側面が強い仕事がら、業務内容はほぼ特許に関するものばかりだったんですね。
そのため、他の仕事の経験を積み自分の可能性を広げてみたいと思ったのが一番です。
ーそうなんですね。現在の業務でも中国との関わりはあるのでしょうか?
今はIT企業で本社と子会社の人事をしているため、中国とは関係ありません。ただ、チーム内に中国人の方もいますし、会社全体では外国人比率も高いので中国語や英語でコミュニケーションを取る場面もよくあります。
また、業務提携をしている会社が中国にあるので、いつかそういった面で中国と関わる人事の仕事にも挑戦してみたいと思っています。
中国×キャリア×女性
島田さんはお仕事以外でも、中国との関わりを持っていらっしゃるそうですが、
具体的に何をされてるのですか?
2018年から東京都日中友好協会に所属し、イベントの運営や広報活動などに携わり、現在は青年委員会の副委員長として活動しています。
また、中国にある中信出版のフリーランスライターとして、中国サブカルチャーについて執筆したりしています。(記事はこちら)
また少し個人的な話になってしまいますが、中国人の夫と結婚をし、今や中国とは切っても切れない関係です。
今のIT人事という仕事は「中国・中国語」は業務の中心ではありませんが、こうしたプライベートでの中国とのつながりはずっと続けています。
特に女性は、家庭を持つと海外出張や駐在のハードルが上がってしまいますよね。そのなかで仕事以外の部分で、こうして中国と関係を持てている今の状況は自分としてもベストな状態なのかもしれないと感じます。
今後、目指していることはありますか?
今後機会があれば、日本に進出する中国企業や中国進出を目指す日本企業で人事の仕事をしてみたいと思っています。
また中国人の夫の家族の状況によっては、今後中国に行って暮らすという状況もゼロではありません。その際にこれまでの経験を活かして、中国企業で人事をする、日本語教育の知識を身に着けて日本語教師として働く、というように働く場所を限らず、柔軟に働いていきたいと思っています。
本日はありがとうございました!
最後に学生の方に一言お願いします。
今の時代、転職や働き方を自ら積極的に選ぶことができます。コロナの影響で、働き方にさらに選択肢が生まれたかもしれません。
私は子どもができてから、今後どうやって働いていくか、自分の好きなことをどう続けていくか、ということをより一層考えるようになりました。
まだそういった制限が少なく、体力も元気な20代・30代のうちは、がむしゃらに色んなことを頑張ってみると良いかもしれません。
キャリアには終わりはありません。働きながら、中国と関わっていくにはどうすればばいいのか、私も今後も模索し続けたいと思います。
私の今後どのように中国と関わっていくか、改めて考えるきっかけとなりました。
ありがとうございました!
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詳しくは、当協会のボームページhttps://www.jcfa-tyo.net/をご覧ください!