中国と関わる社会人にインタビュー
こんにちは!
この記事では、東京都日中友好協会のインターン生が中国と関わりながら活躍する方々にインタビューをしています。
将来中国と関わりたいと考えている学生の方、中国に関心のある方ぜひご覧ください。
他の方のインタビュー記事はこちら
No.1 井上正順さん
No.2 伊沢淳一さん
No.3 石塚諒平さん
No.4 瀧口賀子さん
No.5 島田さん
大学卒業後に、北京の首都師範大学に2年間留学。
帰国後に国内の大学院に進み、国際環境学を学ぶ。
現在は中国語の非常勤講師を務め、また千葉県日中友好協会青年委員会の代表も務める。
幼い頃からあった中国との関わり
中国との関わりを持ったのはいつからでしたか?
父が大学教員で、中国人留学生や、中国の大学の先生を自宅に連れてくることがたまにありました。
子供の頃から気が付いたら中国との関わりがあって、中国への特別な印象というのはなかったんです。
ー幼少期から関わりがあったんですね。大学では農学部に進まれていますが、大学ではどのように中国との関わりを持っていたのですか?
確かに幼少期からすでに中国と触れる機会はありましたが、当時は中国や中国語が仕事の軸になるとは思ってもいませんでした。
大学に進む時には、祖父が牛を飼ってたこともあり生物学や農学に興味があったので、
農学部を選びました。
一見、中国と関係なさそうに感じる農学という領域に進みましたが、
当時農業の中国人実習生に関する問題がありました。
そこで再び中国を意識し始めて、第二外国語も中国語を選択しました。
大学卒業後に中国へ留学されたそうですが、その経緯を教えて下さい
在学中に行くことも考えていて大学職員の人に色々と聞いたりしていました。
しかし母校ではこれまでに中国留学の前例がなく、協定校も農業系の大学ばかりなので語学留学は受け入れてくれないのではないか、また単位互換制度等もないと言われてしまいました。当時は私も中国留学についての知識が少なく、在学中に中国へ留学することは諦めてしまいました。
ただ、やはり行きたいという気持ちは変わらなかったため、卒業後に行くことを決意しました。
中国留学への道を諦めず、大学卒業後に留学へ
卒業後に、留学に行くことに対して不安は感じませんでしたか?
そこまで大きな不安はありませんでした。おそらく、当時が就職氷河期だったことと周囲の環境が大きかったと思います。農学部ということもあって、卒業後はそのまま実家の農業を手伝うため、就活をしていない人も一定数いました。
また、所属していたゼミの教授は草の根の国際協力を専門としていて、NGO活動で農業をやってきた先生でした。そういう先生のゼミだったので、卒業後に海外へ行く人が多かったんです。なので、就活する以外の道を歩む人が周りに多くいて、就活をしないこと自体には大きな不安はありませんでした。
在学中の留学ではなく、卒業後に留学したことで良かったこと、大変だったことはなんですか?
大変だったことは、後ろ盾がなかったことですかね。交換留学などと違い大学の留学支援がない状況ですので、現地に行っても分からないことばかりでした。
当時は中国語もほぼ話せなかったので、留学の寮の場所がわからない、入寮手続きでも言葉が通じない、という状況で、最初の1週間は「やってしまった」と思いましたね。笑
逆に良かったことは、自由に活動ができることです。大学から行くと必要になってくるレポートや報告書といった義務もありませんし、留学中に期間の延長を決められたのも私費留学だったからでした。
また、同じ大学や奨学金機構から来ている人もいないので、日本人同士で固まるということもあまりなく、そこも良かった点ですね。
ーもともと一年の予定だったのを、延長したのですね。当時どのような想いがあったんでしょうか?
申し込んだ留学プログラムの期間は一年だったので、とりあえず一年勉強をしたのですが、まだ自身の中国語のレベルが足りていないという気持ちがありました。
そのため留学の延長を決めたのですが、やはり実際に中国語を話せるなと思えるようになったのは1年半後くらいでした。
理系の大学生が中国に行くことについてどう感じますか?
十数年前まで、中国の科学技術は特に目を惹くようなものではありませんでした。
しかし今はどんどん発展をし、文理関係なく日本が学ぶべきところも多くなっていると思います。
また、「中国留学=語学学習」だけではありません。
修士課程や博士課程だと、英語ができれば中国でも研究ができます。
語学以外に何を学べるかを考えて、理系の人も留学先に「中国」という選択肢を見ていってほしいと思います。
帰国後に、日本の大学院へ進学
帰国後、日本の大学院へ進学された経緯を教えて下さい
2年間中国で留学をして、「中国語ができるだけの人はたくさんいる」ってことに改めて気が付かされました。
語学はあくまでツールで、仕事などでは語学以外の専門性が求められてくる時代です。そう感じた時に、院で自身の専門性を高めたいと思うようになりました。
また、留学当時は農学部という自身のバックグランドが中国でどのように役立てられるか分からなかったんです。ただ、行ってみると、内モンゴルの植林活動に参加できたり、有機野菜の農場を見学したり、農業に関わるフィールドに携わることができました。
中国×自分の専門性を考えられるようになってきたのもこの頃だと思います。
中国語の講師を務める
現在、大学や企業で中国語教師を務めていらっしゃるそうですが、最初のきっかけは何でしたか?
帰国後すぐに、高校で中国語講師をしている知人から「欠員が出たため勤務できる人を探している」と連絡がありました。中国語ができて、非常勤講師ができる人というと私の地元ではあまりいなかったのか、たまたま知人が私に声をかけてくれました。
ー中国語を学ぶ側だったことから、一転して教える側になられたのですね。苦労はありませんでしたか?
当初は中国語を教えるためのノウハウが全くなかったので苦労しました。
採用面接後に教科書だけポンと渡されただけで、どうしようと。笑
参考になればと、中国語の教職課程がある通信制の大学で中国語指導法を履修したり、たまたま機会を得て、中国研究で有名な大学の科目等履修をしたりして勉強しました。
ーそうだったのですね。今は、どういったところで教えられているのですか?
今は、3校ほどで中国語の非常勤講師をしています。また、認定NPO法人東京都日中友好協会のオンライン講座も担当しています。
各校の講座は週に1回ずつあるような形で、そのうち1校はオンデマンドなのでpptをしっかり作り込んで、収録に臨みます。そのため、一つの講座を準備するのに約2週間程度かかりますね。
ー中国語教師になるハードルは高いのでしょうか?
当時は今と比べて、中国のバックグランドを持っている人が少なかったということを考えると、少しハードルは低かったかもしれません。
また、地方だと表立って募集しているところが少ないんです。私のように誰かの紹介で決まることが多いので、日頃から人との繋がりやネットワークを築くことが大事かもしれません。
また、大学で教えるには非常勤講師であれば最低でも修士号、専任教員になりたければ博士号や論文等の実績が必要な場合が多いので、大学で教えたい人は計画的に動くことが大事だと思います。
中国という軸を中心に様々な活動をされていますが、今後の目標はありますか?
若い人に中国をもっと知ってもらいたいというのが今の目標です。
中国語を教えるだけではなく、中国のいろんな側面を知ってほしいと思います。
もっと幅広く教えたい、中国への偏見をなくしたいと言うとおこがましいかもしれませんが、「中国人だから」というのではなく「その人個人」として向き合っていけるようになってほしいと思います。
本日はありがとうございました。
最後に中国に関心のある学生に一言お願いします。
世の中には様々な情報が溢れていますが、そのなかには悪意あるものもあります。それは、中国に対してもそうです。そのため情報を鵜呑みにするのではなく、直接中国へ行ってみて自分の目で中国を見てほしいと思います。
また普段の活動のなかで、自分が楽しそうだと思うことには積極的に参加してみることも大切です。
私も留学中にはそうでしたが、興味があることに対してはダメもとでも連絡してみるのも大事だと思います。声をかけてみることは無料ですので!笑
そうした行動で得た経験やご縁が、その先の自分の選択肢を広げていってくれたんだと振り返って思います。
とにかく行動してみることが一番重要ですね。
小田さんのお話を伺い、言語を学ぶ人だけでなく、理系の方々にも中国留学という選択肢も考えてほしいと感じました。本日はありがとうございました!
当協会に参加していただくと、企画やイベントへの参加、中国人との交流など、様々な活動を行えます。
詳しくは、当協会のボームページhttps://www.jcfa-tyo.net/をご覧ください!